株式会社 Jコスト研究所

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J-Cost Research Center

連載コラム『TOYOTAとNISSANの歴史をJコスト論で斬る』 第 2回目

NISSANがHONDAの支援を断る

2024年12月に舞台の中央にHONDA社長を,下手にNISSAN社長,上手にMITSUBISHI社長の三人が並び,提携協議に移る旨の記者発表をしました.

ところが,2025年1月にMITSUBISHIは参加しない旨の発表があり,更にNISSANの返事が遅いので『HONDA側が主導権を握って改革する案』を申し出でたとか…….改革は遅々として進まずにいたなか,この案にだけは,何と素早くNISSANは反応し,否定的な声が続出している噂が立ちました.

この状況を見て,Netでは『内田社長の年俸がTOYOTAより多い』,『役員の数が意一番多く60名もいること』もやり玉に挙がっていて,『NISSAN役員は社員の行く末よりも,自分達の保身を優先している』と,大炎上しました.

HONDAの応援者からは,『共倒れになるところだった』.『断られて良かった』という投稿があり,その一方では,日産役員の『吸収合併はあり得ない』と言う意見が紹介されると同時に,販売部門の従業員は『売れる車がない』,工場現場では『会社はどうなるんだ?』と,これからを心配している・・・こんな投稿がひしめいていました.

このゴタゴタは2月13日にNISSANの決算中間発表とともに,『共通の持株会社を作るという話は取りやめる』と正式に発表されました.

この日を境に,YouTube上ではNISSANの息の掛かった評論家は沈黙し,独立系の評論家は,NISSANの裏事情を暴き,ポイントを稼いでいます.

特に注目すべきは『e-Power』に関する投稿で,NISSANは鳴り物入りで新技術と宣伝しているが,これは昔からある技術であるとこき下ろしています.

鉄道で言えば,ディーゼル機関車は,膨大なトルクの回転力を如何にしてボギー台車に伝えるかの課題解決のために,大馬力のディーゼルエンジンで発電し,その電力でボギー台車のモーターを廻す方法が採用されている.その結果架線のある区間では電気機関車となり,架線がなくなるとディーゼル機関車として文字通りのハイブリッド機関車が稼働しているなど,『シリーズ型ハイブリッド』は,昔からある駆動方式なのだということは事実です.

EVにシフトしてしまった日産がハイブリッド車が流行するのを見て,急いで『EV車リーフ』の駆動システムの『大きくて高価なリチウムイオン電池』『安いエンジン・発電機と小さなバッテリー』に変更した極めてシンプルなSystemで,HONDAやTOYOTAのハイブリッドに比べて製造原価はかなり安いのに,これを日産独自の技術e-Powerと称して他社と同格の販売価格で販売している.

ここにのみNISSANの儲けの構造があり,信号ばかりの日本の道路では複雑なハイブリッドと互角の性能を発揮するが高速走行の欧州ではドイツ勢に太刀打ちできず,米国では併売店が殆どなので斬新な他社車に太刀打ちできず,中国では地元メーカーの過剰生産で価格が到底太刀打ちできない.

結果として,日本市場でe-Powerで儲けたお金が世界中の販売奨励金に,赤字の穴埋めに使われている事になります.NISSANとは鮎川義介が立ち上げた日本産業株式会社から来ていますが.今では稼いだお金を世界でばらまく……ような稼業になっていると投稿がありました.大変説得力のある投稿でした.

そんなNISSANとは対照に,ある時のTOYOTAの章男社長の言葉

『皆さんは,TOYOTAの看板がなくても外で勝負できるProを目指して,自分のために自分を磨き続けてください.私たちマネージメントはProになり,どこでも戦える実力をつけた皆さんが,それでもTOYOTAで働きたいと心から思ってもらえる環境を作り上げていくために努力して参ります.』

これが今のNISSANの体たらくと対比して投稿されています.

ここで現在の日本の自動車各社の売上ランキングを見ますと,以下のようになっております.

1TOYOTA45兆円
2HONDA20兆円
3NISSAN12兆円
4SUZUKI5.4兆円
5MAZDA4.8兆円
6SUBARU4.7兆円

1960年代,B (ブルーバード) v.s. C (コロナ)戦争時代は,日産とトヨタが2横綱で,他社の売上は少なかった記憶がありますが,60年経った今日では,豊田・本田・鈴木・松田と創業者に名前を受け継いだ自動車会社が活躍している中でNISSANだけが3位に降っています.ここに何があるのか,TOYOTAの場合はどうなのか,再勉強してお伝えします.関心を持ってお読みいただきたいと思います.

『TOYOTAとNISSNの歴史をJコスト論で斬る』シリーズは,当初,差を付けた出来事を,影響の大きさ順に説明する予定でしたが,どうやら,両社の違いはその根本にある『哲学; モノとの見方・考え方』にあり,その違いが次の違いを呼び,それは積もり積もって『今日の両社の差』になったもようで,丁寧に時系列に記述した方が分かりやすいと考え,TOYOTAは豊田佐吉,NISSANは鮎川義介から話を始めていくことにします.

[2] 豊田佐吉が『豐田式G型自働織機』を完成させる

2-1. 佐吉の生い立ち (豊田自動織機HPの要約)

1867年明治維新の前年,現在の湖西市の半農半工の長男として生まれる.小学校を出ると父親の大工仕事を手伝うようになるが,『何とかして世の為,国のために役立つ事をしたい』と思うようになり,村の中にいて独学で様々なコトを学んだのでした.

18歳で特許制度を知り,発明考案が時運の進むべき道と決める.原動機に興味をそそられ,無限動力や電池の発明に関心を持つ.ある時母親が苦労して機織りしているのを見て,『もっと楽に機織りができないか?』と考えた.ここから彼は織機の改良に専念することになります.

織機の改良には,もっと大工に腕を上げねばと,豊橋の大工に弟子入りします.

明治維新20年も経たない日本の浜名湖畔の寒村には,今のように図書館も,ホームセンターもありません.発明をするための参考にする文献も,類似のカラクリも無く,壁にぶつかれば,都会に出掛け新しいものを見聞きして知識を穴埋めするしかありません,佐吉はこの頃,知識を求めて機織り業者が多い尾張地区に出かけることが多かったようです.

1891年『豐田式木製人力織機』を完成させ,特許を獲得します.

この機織り機のからくりを説明したYouTubeがあります.どのような環境で佐吉が何をやったかがお分かり頂けます.

2-2. 佐吉の偉業

この『豐田式木製人力織機』は,筆者の祖母から実母が田舎で使っていた,右手で紐を強く引くと,シャトルが勢いよく左右に動き,左手で筬(おさ)を引いて横糸を叩く,田舎では『チャカトン』と言っていた織機を,片手のみでできるようにした,改良型に過ぎず,インパクトは小さかったのでした.

佐吉は,次に『動力織機』発明に取り組みます.

小学校しか出ていない佐吉には,先入観・余分な知識はありません.眼前の事象をよく観察して,思考実験をして答を導くしかありません.

【A】『目的は何か?』

機を織ると言うことは,『豐田式木製人力織機』の動画でお分かりのように,経糸の間に,横糸を入れた『杼 (シャトル)』を通し,『おさ』で押さえて,経糸の上下を入れ替えてまた横糸を通し,『おさ』で押さえる……の繰り返しになります.

『動力織機』にして高速化するほど,横糸は短時間で無くなります.途中で横糸が無くなると,そこが織斑になりますから,横糸がまだ残っている状態で新しい杼に交換する必要があります.

厄介なことに,布は織ってしまった後から手直しができません.それ故完成した布は『検反』と言う厳しい検査を受け,生地に『汚れ』『織りムラ』『キズ』『糸切れ』が無いかを厳重に監査されます.これに合格すると『A反(合格反)』となり出荷できます.

人力で織っている場合は,織子が目で確かめながら横糸を一本一本,目で出来映えを確かめながら織っていきます.だから,完成した反物は,厳しい検反にも合格します.

『豐田式木製織機』の延長上で動力化したとき,『手足の動きは動力化出来るが,目で検査したり管理していた部分の動力化は難しい……』ことに気付きました.つまり,動力化して織機が速く動くようになっても,その速く動く織機を目を凝らしてチェックして,素速く横糸を交換し,一本でも経糸が緩んだり,切れたりしないか監視することになります.見逃せば出来上がった反物は,『キズ物』として処分されることになります.これは織子にとっては大変な事です.

佐吉は自分が織機の改良に努力している『目的は何か』今一度考え直しました.母親が苦労して機を織っているのを『楽にしてやりたい』事だったはずだ.仕掛かりと後始末は別として,『楽して機織りができる』と言う事は,『織機が機織りしている最中でも,飯も食えるし茶も飲める』と言う事だ,と考えたのです.

この『手も目も離しても完璧な仕事を続ける機械(装置)』を佐吉は,自ら働く機械という意味で『自化(""の付いた"じどうか")』と名付けました.

そして,従来の手作業の機械化・動力化を意味する『自動化; Automation』と区別しました.

当時世界中の発明家が機織り機の動力化を進めておりましたが,佐吉から見るとそれは単なる『自動化; Automation』に過ぎない.『織子の生産性』は上がるが,織子の数は減らせない.単なる改良に過ぎない,と見破っていたのです.

【B】『自働化』の概念の確立

佐吉が考えた『自織機』とは,織子の仕事も織り込んで『自ら働く織機』という概念でした.具体的に言えば,

  1. 『おさ』で押さえる圧力によって,『ガーゼ』の柔らかさから,『帆布…Gパン』の硬さまでかわってしまいます.この布の風合いを決める『おさ』の押さえる強さと調整でき,設定したらその通りに維持し,均一の風合いを造り込む
  2. 横糸の量は変えられないので,1本の『杼 (シャトル)』で織れる布の面積はほぼ一定で,織機を総力で動かして早くすれば,その分早く横糸が無くなります.横糸の残量を確認しながら機を織り,横糸が無くなる前に新しい『杼 (シャトル)』に交換する.機能を持つこと.
  3. 経糸のTensionを監視し,1本でも緩んだり,切れたりしたら即感知し,織機を停止させ,赤ランプで知らせる.(異常時の停める!呼ぶ!待つ!)

この機能を入れた世界で最高水準の『豊田式G型自働織機』を1924年,100年前に完成させたのでした.

この発明によって,一人の織子で50台の自働織機を扱えるようになり,文字通り労働生産性に大改革をもたらしたのでした.

この自働化のカラクリは,豊田産業記念館製の動画で確認できます.

この『豊田式G型自働織機』完成の裏では,佐吉は苦い経験をし,それが遺訓としてトヨタグループに伝わっています.

【C】『糸が命』

動力織機を開発していくと,人力では気がつかなかった問題が顕在化しました.当時の市販されている糸では,太さ・強度にバラツキがあり,高速での織機には使えないものも流通していることが分かりました.

それで,織機の研究を進める傍ら,良き糸を生産するための紡糸の研究も始めました.

【D】『性能を確認得ずして世に出すべからず』

実は『G型自働織機』よりずっと前のモデルで,忙しくて佐吉自身がしっかり確認する前にその特許を譲渡してしまい,譲渡先の製造工場で意図をしっかり反映しないままに発売し,市場で問題を起こし,設計者である佐吉にも苦情が来ました.

左吉自身は,『世の為・人のために開発した織機が,苦情の対象になった』ことにショックを受け,世に広める前に,徹底した確認運転をして,万全の自信を持って製品を世に出すべしとしたのでした.

実際に『豐田自動織機製作所』の隣に『豐田紡織』と言う会社を設置して自社の織機に使える高品質の糸を生産すると同時に,自社の自動織機を使っての営業運転をやって問題点を探し,それを改良のネタにしていったのです.


此処で述べた【A】,【B】,【C】,【D】の考え方は佐吉の遺訓として全TOYOTAグループに脈々と受け継がれていきました.

今日現在,全世界の自動車業界が『EV』に振り回されています.その中でTOYOTAだけが違った対応をしているとして話題になっています.

EVを佐吉の遺訓【A】〜【D】に当てはめてみると,以下のようになります.

  • 【A】EVの目的は何か
  • 【B】EVの出荷品質は万全か
  • 【C】リチウムイオン電池は酷使に耐えられるのか
  • 【D】EVの使い勝手,耐久性は誰がモニターしているのか

これを見ると今のトヨタの対応に合点がいくと思います.

ここでエピソードを紹介します.佐吉は自らが考え出した『自化』が気に入り,織機には『自織機』と名付けました.会社の名称も『豐田自織機製作所』としましたが,経済界では『佐吉は学問が無いから字を間違えている』と嘲笑され,止む無く現在の『自動織機』になっています.

21世紀の今日,『自働化』『JIDOKA』として,またそこから派生した『目で見る管理』『Visual・Control』として,『改善は無限』『シックス・シグマ; 6σ (不良率 1/100万)』として全世界のビジネス界に行き渡っています.

最後に佐吉の生涯をまとめた動画がYouTubeにありますのでご覧ください.

次回は,佐吉の長男喜一郎が,1937年トヨタ自動車を設立するまでの経緯をお話しします.その対極にあるNISSANの創業者の鮎川義介の生い立ちと,日産自動車の関わりも,私見を交えたお話しする予定でいます.ご期待ください.

2025年2月24日
(株)Jコスト研究所 代表 田中正知