連載コラム『TOYOTAとNISSANの歴史をJコスト論で斬る』目次はこちら
- 2025年 3月31日公開
- 第 3回目 豐田喜一郎が『トヨタ自動車』を創業する
- 2025年 2月24日公開
- 第 2回目 豊田佐吉が『豐田式G型自働織機』を完成させる
- 2025年 1月18日公開
- 第 1回目 はじめに
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16回目まで掲載し中断中、25年3月から再開を予定しています。
お楽しみにお待ちください。
4月も早,中旬を越しました.
皆様いかがお過ごしでしょうか.
弊社のある名古屋市緑区の扇川の土手は,住民のための遊歩道として整備されていますが,そこには樹齢30年の染井吉野の並木になっていて,絶好の花見場所でもあります.今年の満開はやや遅く,4月の第1週でした.今週は,近くにある街路樹の八重桜が満開です.
拙宅の庭には,春の味覚を伝える2種類の庭木があります.一つ目は苦心して育てようやく付き背丈前伸びた山椒.もう一つは『五加木』,これは米沢藩上杉鷹山で有名ですが,信州でも春先に食されており,実家から移植したものです.我が家ではこれらを食して春を実感する習わしでいます.今年も例年通り家族で食し,春を実感いたしました.
穏やかな身の回りから目を外にやると,地球規模の大混乱が渦巻いています.
『ロシアによるウクライナ侵攻』,『イスラエルによるパレスチナ攻撃』等に代表される武力衝突.異常気象に起因する食糧危機等々,枚挙に暇がありません.
しかしなんといっても我々の生活に直結する『トランプ関税』こそが一番の問題だと思います.
今月は,トランプ関税問題のうち,筆者が体験した『日米自動車戦争の歴史』をお伝えします.
有名な『孫子の兵法』には,
勝兵は 先ず勝ちて しかるのちに戦いを求め,
敗兵は 先ず戦いて しかるのちに勝ちを求もとむ.
というのがあります.
今回のトランプ関税は,高らかに関税額を歌い上げましたが,株価の下落や 国債の利回りの高騰を見て『朝礼暮改』をしています.孫子から見ますとこれは負け戦です.
日本側の関税交渉団の活躍で勝機を勝ち取ってもらいたいものです.
とは言うものの,いよいよ4月から輸入完成車に25%は4月3日から,輸入自動車部品には5月3日から課税される事になっています.各メーカーとも数カ月分の在庫を抱えていますので,市中の販売価格に変化が現れるのは,在庫が切れてからと言われています.輸入車がどのような価格で市中に出回るか注目です.
TOYOTA在籍中に日米自動車戦争を2回経験していますので,その概要と,それを通じって米国市場でTOYOTAはどのように進化していったのか概要を説明したうえで,今回のトランプ関税に如何に取り組むかをOBとして説明したいと思います.
日本の自動車メーカーがアメリカ国内で生産を始めることで,アメリカ国内での雇用創出にも貢献しましたが,同時にアメリカメーカーとの競争はより激化しました.GM・FORD ・CHRYSLERのいわゆるBIG3は,強力な労働組合『UAW』の抵抗,旧態依然とした企業風土に阻まれ,軽量化,低燃費化が進みませんでした.
1985年レーガン大統領は,『40年前に焼け野原した日本が,なぜ戦勝国の米国を凌ぐような自動車を作るに至ったのか調査せよ』とMIT(マサチュセッツ工大)の研究グループ『IMVP (International Moter Vehicle Program)』に命じたのでした.
1989年に調査結果が報告され,以下の(A)(B)(C)が日本の飛躍の元であるとされました.
米国の現場はHispanicに代表されるように,米語を満足に話せない移民などが多く,日本のようなQCサークル活動は無理であるが,日本の管理者は『問題解決』は現場任せで,上司のご機嫌取りでゴルフ・カラオケ・麻雀に現を抜かせている現状に把握していて,この日本に勝つためには管理者・経営者を対象にした『経営品質』に焦点を絞り,『TQM (Total Quality Management)』と言う手法を編み出して,全米国に展開をした.更にそれを使って成果を上げた企業には『Malcolm Baldrige National Quality Award (マルコム・ボルドリッジ賞)』を国として授与する仕組みを作ったのです.
1990年以降,日本でもお馴染みの米国大企業が受賞しています.(GM・IBM・FedEx・AT&T・Texas Instruments ・Ritz-Carlton Hotel・Kodak・3M・Boeing Airlift・……)
この頃,東芝がLap Top型パソコン,次いでNote型パソコンを発売し,やがて『Windows 95』が普及し,これが米国のOfficeを劇的に変えました.事務処理が標準化され,電子化され,それが大型電算機のERPに繋がり,全社的統合Systemとして完成して行くのでした.
具体例を紹介しますと,1995年,アーカンソー州にある米国の巨大スーパー『ウォルマート・ストアーズ』の本社を訪問したとき,北米全店舗の約10万点の商品の今日一日の売れたDETAと仕入れたDATA等を,自前の衛星通信で本社が把握して,分析すると言います.
北米大陸が広いので,春は南から北へ登って行き,冬は北から南へ降りてきます.
従来の販売実績をもとにして,どこどこの店舗では明日はどの品がどのくらい売れるか.現在の在庫量がわかってますから,明日の午前中に何をどれだけ補充すればよいのか,計算できます.これに基づいてセンターデポから各店舗への配送計画ができ,最小の在庫で最大の効果を上げることができる…….ということでした.
会社としての商品の売れ残りは3%以下に抑えることができ,これがアメリカで一番安い店と言われる所以でもありました.
そのために,ありのままの市場の動向が必要で,販売イベントは一切やらず,『Everyday Low Price 』の方針を貫いているといいます.
『ウォルマートl』自体は日次運営体制になっていましたが,Supplierが週次でしか対応してくれないので,毎週需要予測をSupplierと協議して決め,売れ残りのロスはサプライヤーと折半するというルールで運用していると教えてくれました.
1995年当時最先端はそこまで進んでいたのでした.
一方,当時の日本では,戦後の復興時に先輩たちが自前で作り上げた各社各様の『経営管理体制』で1980年代までの急成長を成し遂げましたが,それを自社の『経営管理』が優れているからと勘違いして『Japan As No.1』の自己陶酔に掛かり,欧米の,事業のGlobal化に対応できる『経営管理System』を学ばずにいました.
1990年代に入ると,日本では,眼前に突然1/30の賃金で働く中国の巨大労働市場が開け,世界規模で見れば資本主義は共産主義勝ったということになり急遽グローバル経済が進んでいきます.全地球規模の市場競争が激しさを増し,経営管理体制の不備から日本がズルズルと遅れをとってしまいました.
各社は大戦中に実施していたため,米国政府は特に対策を取りませんでした.後日,次の『Lean生産方式』とセットにして一部企業で復活しました.
調査に当たったMITの経済学者達は,『トヨタ生産方式』のConceptに驚きました.しかし,その中には欧米の企業では受け入れにくい要素も多々ありました.そこで彼等は,現在の欧米企業が取り入れ磨きを掛ければTOYOTAに追い付き,追い越せる項目に限って編纂した,ガイド本を発行しました.それが『The Machine That Change The World』(1989年)でした.著者のウォマック博士は,自ら会社を発ち上げ,実践を通して実務編として『Lean Thinking』を上梓しました.これらの本は,米国大手製造会社のTOPに読まれ,特に『Just In Time』は各社に導入されていきました.GE社,ボーイング社などは有名です.
クリントン大統領(民主党)時代の日米自動車摩擦(1993年〜1995年)が再燃しました.その背景として,1980年代後半から,アメリカの自動車産業は自ら痛みを伴う改革をしなかったため日本の北米生産車においても,価格と品質でお後れを取り,市場シェアを大きく失いました.
BIG3の経営陣は,自社の改革よりもロビー活動に力を入れ,日本の市場が閉鎖的であり,アメリカ製品の輸入を阻んでいるのが自動車貿易の不均衡のもとと主張しました.特に自動車分野において,アメリカは日本に対し,部品の輸入拡大やディーラー網の開放を求めました.
クリントン大統領は,日本に対し,自動車部品の輸入目標を設定するよう求めました.日本は,目標設定は市場原理に反するとして拒否しました.
日米包括経済協議が開始されましたが,自動車分野での合意は得られませんでした.
アメリカは,日本車の高級車(レクサス)に対する100%の関税を課すと発表しました.当時のレクサスの革シートは,テキサス産の牛革を使っていましたので,牛革の販売維持を名目にレクサス100%輸入課税の反対運動を起こしてくれました.
州民にとってはTOYOTAという名の『我がテキサスの会社』になっていたのでした.他社のように,減産になって 業員はLay offせず,地域行事に積極的に参加することで,地域住民に受け容れられたのでした.
テキサス州民たちの反対運動がどれだけ利いたかわかりませんが,レクサスの100%関税な取りやめになりました.
その代わり,米国から一定額の部品を購入することと,米国車『シボレーキャバリエ』を日本仕様に改造し『トヨタキャバリエ』としてTOYOTAのディーラーで販売することで完成車の案件は収まりました.(1996年〜2000年)
「キャバリエ」は,ゼネラルモーターズ(GM)の小型4ドアセダンである.スポーツカーと大衆車を中心とした銘柄のシボレー製で,初代は1982年に誕生した.
アメリカ車を日本でより多く販売するため,トヨタがGM車を売ることになり,1996年から,3代目のキャバリエの4ドアセダンと2ドアクーペを国内販売したのである.キャバリエは,元気に走るクルマだった.しかし,エンジン騒音はそれなりに大きく,運転操作に対する走行感覚も荒々しい面があった.1989年に国内の自動車税制が改定になり,3ナンバー車への税額が排気量3.0リッター以下は軽減された.とはいえ,キャバリエ自体の質感で,3ナンバー車の税制や経費を自己負担するのは消費者にとってむずかしかった.日米という二国間の経済的均衡を保つことは,クルマにおいてはむずかしく,今日なお解決されずにいる課題のひとつといえるだろう.なぜなら,アメリカ人にとって小さなクルマは興味の対象ではなく,逆に日本では大きすぎるクルマは手に余るからだ.さらに上級車種ならまだしも,廉価な実用車で大きいクルマは一部の関心しか得にくい.<原文抜粋>
CMをバンバン流し,販売店も頑張ったのですが,思うようには売れませんでした.今回のトランプUの場合は,どんな車を売れというのでしょうか……?
一定量買わされた米国産自動車用部品については,トヨタとしては重大な問題がありました.『トヨタ生産方式』では『自働化』という概念から,品質問題は工程内で全て解決し,工程を出たモノは全て合格品になるように工程設計します.言い換えると,万一不良品が発生しても,その工程内で対処し,合格品のみが次の工程に行くようにしてあります.
乗用車の組立ラインでは,1,500〜2,000点/台の部品を組み付けて完成車にします.各部品に0.1%の不良品が混在しても,完成車ベースでは合格車が1台も無いことになります.
ところが,当時のアメリカの経済学には『適性品質』と『過剰品質』という概念があり,不良率を0.1%⇒0.01%と下げていくと,製造コストが幾何級数的に増えてくるとし,上限でも3σ(0.3%)位の不良率がコストミニマムであるとされていました.
一方,TOYOTAの現場では,装置産業化されているので,初期設定で不良ゼロにすれば,以下同じ精度で製造できるので,不良率ゼロを追求することが,一番利益になると経験でも実証されていました.
いざ,米国から部品を輸入して見ると,本当に数パーセントの不良品が混じってました.このレベルでは到底トヨタのラインに直接投入できないので,一旦全数検査する工場に送り,そこから組み立て工場に搬入することにしました.
従来のトヨタのサプライヤーからの部品代に比べて,大変高いものになりました.
その後,全米にトヨタ生産方式(Lean生産方式)が行き渡るとともに,自動車業界では,やり取りする部品はあくまでも100%合格品が常識になりました.
以上が第1次・第2次日米自動車戦争の筆者から見たいきさつです.
1997年以降,更に数多くの工場を建設するなど,米国に溶け込むための施策を打っていますが,それは次回をお楽しみにして下さい.
報道機関では,歴史を遡らず,今日のことのみの情報をうわべのみ報道しているのが残念です.
この記事が皆さまの参考になれば幸いです.
尚,連載しています『TOYOTAとNISSANの歴史をJコスト論で斬る』は今回お休みを頂きました.
2025年4月21日
(株)Jコスト研究所 代表 田中正知