株式会社 Jコスト研究所

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J-Cost Research Center

連載コラム 『Jコスト改革の考え方』目次はこちら

2017年1月より、『Jコスト改革の考え方』というコラムをおよそ月に一度の頻度で更新していきます。

第15回目の公開は4月を予定しています。

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2019年5月

『令和』よ こんにちは  <その1>

風薫る皐月,私達は目出度く新元号『令和』の御代を迎える事が出来ました。

誠にお目出度いことではあります。これを機会に様々な特別番組が放送されましたが,中には,客観的に日本の現状を考えると幾つかの致命的な問題を抱えており,早急に解決しないと,『ギリシャ』『ローマ』のように『日本』にも栄えた時代があった……と語られる始末になりかね無い…と言う趣旨の報道がありました。


私も,(株)Jコスト研究所の代表として,早急に解決すべき課題として提言したいことが多々ありますので,今回から数回に亘って此処でお話しさせて頂くつもりでいます。


提言するに当たって,然るべき機関に居る研究者であれば,学者として権威がありますが,私企業の実務で成果を上げてきた私の提言は,自らの体験や,事実から洞察した形を取らないと説得力がありません。その論法で,令和の御代に解決すべき課題を提言していきたいと思います。


提言:『令和』はプロフェッショナルの時代である

5月3日,94歳で逝った父の13回忌の法要を,2人の息子,5人の孫,13人の曽孫を含む家族26名が集まって執り行いました。帰り道,家具職人だった父は,口ではなく後ろ姿で少年時代の私に様々なコトを教えてくれたことや,それが土台となって77歳の今日も,自信を持って現場改善や職場管理改革のお手伝いが出来ていることを感謝したのでした。詳細は【エビデンス−1】参照


『親に教えられて育つ…』という言葉から歌舞伎界が連想されます。彼等は2歳頃から父親から芸を仕込まれ,3歳頃には初舞台を踏み,歌舞伎という芸の伝承者であると同時に名優として育てられていきます。【エビデンス−2】参照

ファンとして見ると,彼等は永い伝統を背負っていて,親・子・孫と家族総出で芝居を作っていますから,つねに長期的な視野でモノを見ています。歌舞伎界に閉じこもっていただけでは歌舞伎の『発展』どころか『伝承』も出来ないと考え,映画やテレビ,ミュージカルにも出演し,其れを歌舞伎に取り組むことで繁栄を維持している事が分かります。


歌舞伎以外でも,芸能界では歌手や俳優の子供達が,親の後ろ姿を見て育ち,時には親の指導を受けて同じ業界に参入し,大成している人が多く居ます。


スポーツに目をやれば,親が手を取って教えると言うより,幼児期から厳しい訓練で才能を伸ばし,世界を舞台に活躍する選手が出てきました。

卓球では福原愛選手が…,フィギヤースケートでは,浅田真央選手が頑張り,彼女達に刺激され若い選手が続々と育ってきています。

他競技でも,2020年の東京オリンピックに向けて選手の育成強化に乗り出し,その成果が実りつつあり,本大会が楽しみだという報道もあります。誠に結構なことです。


その一方で実業界に目をやると,これと違って『平成』の御代にズルズルと後れていっている『不都合な現実』があります。


時代を少し遡り,この件を詳しくお話ししましょう。


昭和の御代に戦争に敗れ(1945年)焦土と化した日本が,先人の努力で復興していき,先ず『繊維業界』が,継いでテレビなどの『家電業界』が,そして1980年には『自動車業界』までもが,戦勝国で世界一の工業大国であると自認する米国に輸出攻勢を掛け,『日米貿易戦争』とまで言われるようになりました。当時は『Japan as No.1』と言われバブルに酔い有頂天になっていた時代でもありました。


平成の御代(1989年1月8日〜)になって間もなく歴史的大変革が起きます。其れは、ソ連が崩壊し(1991年12月25日),米国の単独覇権体制(1992年元日〜)になった事でした。この時点から,グローバル化とは『文化や思想にとらわれない自由貿易』だけでなく『経済・政治・社会など,あらゆる体制を米国型に変えること』という意味も合わせ持つようになってしまいました。


この事を,私と同年代の経済学者・中谷巌博士が『グローバル化とは,例えて言えば,村の運動会に他所の国からオリンピック級の選手が参加するようになることだ・・・・』という説明をされていた記憶があります。閉鎖された地域経済であれば,どんな商売でも常識的な活動でそこそこ儲かるのですが,グローバル企業によって,世界規模のマーケッティングから開発された『魅力的な商品』を,大量生産によって『安価に無尽蔵に』供給されれば,地域企業はひとたまりも無いであろう・・・・と言う意味と理解しました。


案の定,オリンピック金メダル級の経営者のグローバル企業の攻勢に,ドメスチック経営者の日本企業は市場を奪われ,倒産が相次ぎました。日本を代表する日産自動車さえもが資金繰りが厳しくなりルノーに降る(1999年)羽目になってしまったのでした。


ルノーから助人として派遣された金メダリスト級の経営者ゴーン氏により,日産は数年で累積赤字を解消させ,見事なV字回復を成し遂げた…と絶賛される事態になりました。

言い換えれば,日本人経営者の『能力』に疑問符が打たれるような事態になったのでした。


この頃,『ものつくり大学』の教授仲間だった上田敦生教授は,経営者や管理者層に対して有名なドラッカー教授の著作を訳し,『プロフェッショナルの条件』『チェンジリーダーの条件』『イノベーターの条件』『マネジメント』『実践する経営者』『企業とは何か』『テクノロジストの条件』等を2000年から2005年の間に矢継ぎ早に出版し,改革を促していました。


このような,経営陣だけが注目されている事態に違和感を持った酒井崇男氏は『技術者』の重要性を訴え,著書『「タレント」の時代』(2015年講談社)の中で,『グローバルな市場で勝ち進むためには,商品設計が肝心であること。商品設計はタレント(異能の人)にしかできないので,スポーツ界が選手を漁るように,商品開発できる技術者を集め,育成し,然るべき処遇を与える事で企業を強化すべき…』と主張しています。まったく同感です。


最近,日本電産の永守会長が『大学卒と言いながら財務諸表も読めない経済学部卒や,モーターの模型も作れない工学部卒が居る・・・・,』と嘆いて,大学改革に乗り出すと言う記事を見たことがあります。


これに呼応してか,企業側も改革に取り組む気配を見せ,その第一歩として,経団連の中西会長が『新卒生の採用のやり方を変える・・…』という発言がありました。          これは,従来のように素材として4月に安い初任給で一括採用し,社内教育で『自社専用のベテラン』に育てて活躍させると言う『日本型採用制度』から,随時,即戦力となる人材を,能力に見合った給与で採用するという欧米型採用制度に移行するという意味を持ちます。これが発端になって,大学も即戦力になる教育体系に変わっていくと思います。


この『企業と大学の人材育成に関する課題』については,提言したい事柄が数多くありますが,其れは次回以降に譲って,今回は土台となる幼児期から少年期における人材育成についてのお話しをします。


今月は以下のような提言を致します。


  1. 実業界でも,スポーツ界や伝統芸能の世界のように,幼児期からプロフェッショナルとして育てた『人財』と,一般教養だけを身につけた『人材』とが『峻別される時代』になる・・・・。
    それ故,親は我が子を有名校(一般教養)に入れると言う選択を脱し,『何のプロフェッショナルに成りたいか本人の意思』を尊重し,支援することに切り替えるべきである。【エビデンス-1】参照
  2. 少年期までに出来得る限りの,五感で学ぶ実体験をさせ,『事象の“真因”を理解する基礎体験』を身に着けることが肝要。
    これがあって初めて実社会での『言葉による情報』からでも『事象の真の理解』ができるようになる。【エビデンス-1-3】参照
  3. 少年期に何より大事なのは,暖かい人間関係である。特に『両親』と 『兄貴(姉)的存在』が大きな影響を及ぼす。【エビデンス-1-2-3】参照

【育成提言の解説】

このように文章に纏めますと,『当たり前のこと』を書いてある事にお気づきでしょう。実は,『平成の御代』ではこの『当たり前』が消えていったことが問題なのです。

先ず『当たり前』の必要性を『進化の歴史』と言う側面から説明します。誕生して46億年経った地球上に,『脊椎動物』が誕生してから約5億年,『哺乳類』が誕生して約2億年,ホモ・サピエンス(ヒトの祖先)誕生して約20万年経っているといわれています。

赤ちゃんが生まれるとき,母親の子宮の中で,『1個の受精卵』が細胞分裂を繰り返し,最終的には『37兆個の細胞』から構成される人体にまで成長していきますが,子宮の中では受精卵⇒多細胞⇒脊椎動物⇒両棲類⇒哺乳類⇒人類と,生命の歴史を少なく見ても約5億年分の進化をトレースして人間の赤ちゃんにまで成長して出産を迎えるといいます。

生まれた直後の赤ちゃんは棒にぶら下がることが出来るほどの握力がありますが,空腹とか,痛みを泣き分ける程度しか言語能力はありません。『進化の尺度』で見れば,20万年前の『ホモ・サピエンスの状態』とも言えます。この状態から組織的・効率的に現代に通用するレベルまで引き上げるのが,『少年期までの育成』の目的なのです。


『パソコン』であれば,買ってきた時はマッサラな状態ですが,『プログラム(デジタル)』をインストールし,必要なデーターを読み込ませれば数時間で機能するようになります。


しかし,赤ちゃんは,触って,なめて,音を聞いて,見て…つまり五感を使ってのアナログデータのみで外界を感知し,脳に取りこみ,自らアナログ・コンピュータープログラムを脳内に作りながら,親から口移しで『言葉』を覚えていきます。

言葉を聞き分け,発音できるようになると,教育に『誤解』が生まれてきます。


『米は田圃から獲れる』『生糸は蚕の繭から紡ぐ』と言うように『文章』を覚えさせ,別室で答案用紙に書ければ,『米』と『生糸』の『学習』が出来た…と誤解し,其れを強行するのが『受験勉強』の正体です。この『文章で書かれた情報(既知の事実)』を数多く記憶した人(スマホで何でも検索出来る現代では価値がありませんが…)が,受験戦争を勝ち抜いた『エリート』として要職に就き,『未開の分野を切り開く…』という受験とは真逆の役割を担っていった事が,日本の影が薄くなっていった要因の一つと私は考えています。


一方『皇室』では,毎年公務として天皇自ら田植えをし,稲刈りをします。皇后は自ら蚕を育て,出来た繭を紡いで生糸を作ると言います。その意味の解釈は皆さまにお任せします。


私自身の少年時代の体験は【エビデンス-3】を参照してください。


トヨタ自動車には『現地現物』という『哲学』があります。創業者喜一郎氏の『1日に3回以上石鹸で手を洗わない技術者は要らない』という言葉が,『現地現物』の端的な表現として全新入社員が教わります。その後で『いざという時には五感から得た情報のみが頼りになるからだ・・・』と説明されます。

豊田家の伝記を読むと,佐吉翁⇒喜一郎氏⇒章一郎氏⇒章男氏(現社長)と代々,少年時代に父親後ろ姿を見て『企業家魂』や『帝王学』等が受け継がれていく様が描かれています。受け継がれる『哲学』の一つが『現地現物』と御理解ください。この伝承がトヨタ飛躍の一つの要素であると言えます。


今回の私の提言[1],[2],[3]の真意をご理解頂けたでしょうか?


お子様やお孫さんの教育の参考になれば幸です。


以下,参考にした『エビデンス』を列記します。



【エビデンス−1】父の背中から教わったこと

1913年信州に生まれた父は丁稚奉公して得た家具職人としての腕を頼りに上京し,自力で動坂に店を構え,1940年故郷から嫁を迎え,私が生まれ,これから…と言うときに召集され,母は私を連れて信州の実家(山村の大百姓)に疎開しました。

  1. 終戦翌年復員した父は,父方の倉庫の一部を借り,財産は大工道具だけという状態から事業を再開させます。田舎では家具だけでは飯が食えないので,父は木製の手提げ行灯を独自に考案し製造販売しました。

    間もなく玄関の木戸をガラス戸に変える等,建具製造も手掛け始め,やがて生活改善の時流に乗り,台所や風呂場の改築を始めます。更に自力で左官や塗師の技術をマスターし,村の『何でも屋』に成っていき,10年後には,職人2名,住み込みの弟子1名を抱えるまで商売を広げていきました。(起業家としての側面)

  2. 父は厳しく仕込まれた職人で,1日の終わりには,仕事場は掃き清められ,道具類はその日の内に整備して定位置に片付けて翌日即使える状態にして居ました。職人たる者,道具は自分で作るべしとし,約30種類の鉋を自慢にしていました。(職人としての基本姿勢)

  3. 黙々と働く父の背中を仕事場の鉋屑の中で木切れで遊びながら見て育った私は,木工に関する基礎知識を,『門前の小僧習わぬ経を読み・・・・』的に身に着き,音を聞いただけで鋸や鉋掛けの上手下手が分かるようになりました。(感性の伝承)

  4. 中学生の頃は,出来上がった机や洋服ダンスをリヤカーに載せて届け,請求書を渡してくるのが役目で,商品物流の原点を体験しました。その入金があると,おかずが一品増え,父は材料の仕入れに行ったりし,経営に於ける資金繰りの何たるかの原体験をしていました。(企業経営の原体験)



【エビデンス-2】歌舞伎界最近の襲名

2019年 1月14日
市川海老蔵が13代目市川團十郎白猿を襲名
長男・勧玄(2013年3月生)が8代目市川新之助を襲名
2歳で初舞台,6歳で新之助
2019年 1月
松本幸四郎が2代目松本白鸚を襲名
長男;市川染五郎が10代目松本幸四郎を襲名(43)
孫 ;松本金太郎が8代目市川染五郎(11)を襲名
2017年 2月
中村勘九郎
長男 七緒八 が3代目中村勘太郎(5)を襲名
次男 哲之 が2代目中村長三郎(3)を襲名


【エビデンス-3】私の少年時代の体験

  1. 小学校にあがるまで,山村の大百姓だった母の実家に疎開していたので,稲作,畑作は勿論のこと,馬から鶏までの家畜の世話,炭焼き・柴刈り・茸や山菜採りなどの山仕事,養蚕・製糸,味噌・醤油・どぶろく造りまでの農山村の仕事を体験することが出来ました。教えてくれたのは母の弟妹でした。特に6歳年上の叔父は,兄のような存在でよく面倒を見てくれ,母の実家の大家族の末っ子のように育てられました。

  2. 小学校時代は,父母と6歳下の弟と,見習い職人Aさんの5人暮らしでした。母は衣食住全ての面倒を見る『女将さん』としてAさんに接して居ましたが,食事時の『おかず』の大きさは@父,AAさん,B家族の順でした。家族より従業員を大切にするという日本的経営の原点を肌で学びました。

  3. 弟が幼児期に入ると,農繁期には母は近所の農家の手伝いに行くようになり,この時の午後の休憩時間のお茶出しと,母が準備して置いた材料を使っての夕食の支度は,私の仕事になりました。この時から始まった『男子厨房に入る』習慣はその後,子,孫まで続いています。裏を返せば『男女共同参画』であり,私達夫婦と息子夫婦に伝わって居ます。

  4. 小学生の時代,5匹ほど飼っていた兎の世話は私の日課でした。毎日,土手から草を刈ってきて,水分をやり過ぎないように注意し,餌として与えていました。弟が小学校にあがるとその仕事は弟に移りました。この時,キチンと日課をこなす躾けが目的だったのだと分かりました。



〜以上〜


2019年5月 吉日
(株)Jコスト研究所 代表 田中正知