連載コラム『Jコスト改革の考え方』目次
JBpress連載コラム『本流トヨタ方式』
ビジネス情報サイトJBpressにおいて、2008年から2013年までの間に合計104回のコラム 『本流トヨタ方式』 を連載していました。
現在連載中のコラム 『Jコスト改革の考え方』と併せて読んで頂くと、より深くJコストの考え方がご理解頂けるかと思います。是非、下記のリンクにアクセスしてみて下さい。
過去の所信表明
2019年5月
『令和』よ こんにちは
風薫る皐月,私達は目出度く新元号『令和』の御代を迎える事が出来ました.
誠にお目出度いことではあります.これを機会に様々な特別番組が放送されましたが,中には,客観的に日本の現状を考えると幾つかの致命的な問題を抱えており,早急に解決しないと,『ギリシャ』『ローマ』のように『日本』にも栄えた時代があった……と語られる始末になりかね無い…と言う趣旨の報道がありました.
私も,(株)Jコスト研究所の代表として,早急に解決すべき課題として提言したいことが多々ありますので,今回から数回に亘って此処でお話しさせて頂くつもりでいます.
提言するに当たって,然るべき機関に居る研究者であれば,学者として権威がありますが,私企業の実務で成果を上げてきた私の提言は,自らの体験や,事実から洞察した形を取らないと説得力がありません.その論法で,令和の御代に解決すべき課題を提言していきたいと思います.
提言:『令和』はプロフェッショナルの時代である
5月3日,94歳で逝った父の13回忌の法要を,2人の息子,5人の孫,13人の曽孫を含む家族26名が集まって執り行いました.帰り道,家具職人だった父は,口ではなく後ろ姿で少年時代の私に様々なコトを教えてくれたことや,それが土台となって77歳の今日も,自信を持って現場改善や職場管理改革のお手伝いが出来ていることを感謝したのでした.詳細は【エビデンス−1】参照
『親に教えられて育つ…』という言葉から歌舞伎界が連想されます.彼等は2歳頃から父親から芸を仕込まれ,3歳頃には初舞台を踏み,歌舞伎という芸の伝承者であると同時に名優として育てられていきます.【エビデンス−2】参照
ファンとして見ると,彼等は永い伝統を背負っていて,親・子・孫と家族総出で芝居を作っていますから,つねに長期的な視野でモノを見ています.歌舞伎界に閉じこもっていただけでは歌舞伎の『発展』どころか『伝承』も出来ないと考え,映画やテレビ,ミュージカルにも出演し,其れを歌舞伎に取り組むことで繁栄を維持している事が分かります.
歌舞伎以外でも,芸能界では歌手や俳優の子供達が,親の後ろ姿を見て育ち,時には親の指導を受けて同じ業界に参入し,大成している人が多く居ます.
スポーツに目をやれば,親が手を取って教えると言うより,幼児期から厳しい訓練で才能を伸ばし,世界を舞台に活躍する選手が出てきました.
卓球では福原愛選手が…,フィギヤースケートでは,浅田真央選手が頑張り,彼女達に刺激され若い選手が続々と育ってきています.
他競技でも,2020年の東京オリンピックに向けて選手の育成強化に乗り出し,その成果が実りつつあり,本大会が楽しみだという報道もあります.誠に結構なことです.
その一方で実業界に目をやると,これと違って『平成』の御代にズルズルと後れていっている『不都合な現実』があります.
時代を少し遡り,この件を詳しくお話ししましょう.
昭和の御代に戦争に敗れ(1945年)焦土と化した日本が,先人の努力で復興していき,先ず『繊維業界』が,継いでテレビなどの『家電業界』が,そして1980年には『自動車業界』までもが,戦勝国で世界一の工業大国であると自認する米国に輸出攻勢を掛け,『日米貿易戦争』とまで言われるようになりました.当時は『Japan as No.1』と言われバブルに酔い有頂天になっていた時代でもありました.
平成の御代(1989年1月8日〜)になって間もなく歴史的大変革が起きます.其れは,ソ連が崩壊し(1991年12月25日),米国の単独覇権体制(1992年元日〜)になった事でした.この時点から,グローバル化とは『文化や思想にとらわれない自由貿易』だけでなく『経済・政治・社会など,あらゆる体制を米国型に変えること』という意味も合わせ持つようになってしまいました.
この事を,私と同年代の経済学者・中谷巌博士が『グローバル化とは,例えて言えば,村の運動会に他所の国からオリンピック級の選手が参加するようになることだ・・・・』という説明をされていた記憶があります.閉鎖された地域経済であれば,どんな商売でも常識的な活動でそこそこ儲かるのですが,グローバル企業によって,世界規模のマーケッティングから開発された『魅力的な商品』を,大量生産によって『安価に無尽蔵に』供給されれば,地域企業はひとたまりも無いであろう・・・・と言う意味と理解しました.
案の定,オリンピック金メダル級の経営者のグローバル企業の攻勢に,ドメスチック経営者の日本企業は市場を奪われ,倒産が相次ぎました.日本を代表する日産自動車さえもが資金繰りが厳しくなりルノーに降る(1999年)羽目になってしまったのでした.
ルノーから助人として派遣された金メダリスト級の経営者ゴーン氏により,日産は数年で累積赤字を解消させ,見事なV字回復を成し遂げた…と絶賛される事態になりました.
言い換えれば,日本人経営者の『能力』に疑問符が打たれるような事態になったのでした.
この頃,『ものつくり大学』の教授仲間だった上田敦生教授は,経営者や管理者層に対して有名なドラッカー教授の著作を訳し,『プロフェッショナルの条件』,『チェンジリーダーの条件』,『イノベーターの条件』,『マネジメント』,『実践する経営者』,『企業とは何か』,『テクノロジストの条件』等を2000年から2005年の間に矢継ぎ早に出版し,改革を促していました.
このような,経営陣だけが注目されている事態に違和感を持った酒井崇男氏は『技術者』の重要性を訴え,著書『「タレント」の時代』(2015年講談社)の中で,『グローバルな市場で勝ち進むためには,商品設計が肝心であること.商品設計はタレント(異能の人)にしかできないので,スポーツ界が選手を漁るように,商品開発できる技術者を集め,育成し,然るべき処遇を与える事で企業を強化すべき…』と主張しています.まったく同感です.
最近,日本電産の永守会長が『大学卒と言いながら財務諸表も読めない経済学部卒や,モーターの模型も作れない工学部卒が居る・・・・,』と嘆いて,大学改革に乗り出すと言う記事を見たことがあります.
これに呼応してか,企業側も改革に取り組む気配を見せ,その第一歩として,経団連の中西会長が『新卒生の採用のやり方を変える・・…』という発言がありました. これは,従来のように素材として4月に安い初任給で一括採用し,社内教育で『自社専用のベテラン』に育てて活躍させると言う『日本型採用制度』から,随時,即戦力となる人材を,能力に見合った給与で採用するという欧米型採用制度に移行するという意味を持ちます.これが発端になって,大学も即戦力になる教育体系に変わっていくと思います.
この『企業と大学の人材育成に関する課題』については,提言したい事柄が数多くありますが,其れは次回以降に譲って,今回は土台となる幼児期から少年期における人材育成についてのお話しをします.
今月は以下のような提言を致します.
- 実業界でも,スポーツ界や伝統芸能の世界のように,幼児期からプロフェッショナルとして育てた『人財』と,一般教養だけを身につけた『人材』とが『峻別される時代』になる・・・・.
それ故,親は我が子を有名校(一般教養)に入れると言う選択を脱し,『何のプロフェッショナルに成りたいか本人の意思』を尊重し,支援することに切り替えるべきである.【エビデンス-1】参照 - 少年期までに出来得る限りの,五感で学ぶ実体験をさせ,『事象の“真因”を理解する基礎体験』を身に着けることが肝要.
これがあって初めて実社会での『言葉による情報』からでも『事象の真の理解』ができるようになる.【エビデンス-1,-3】参照 - 少年期に何より大事なのは,暖かい人間関係である.特に『両親』と 『兄貴(姉)的存在』が大きな影響を及ぼす.【エビデンス-1,-2,-3】参照
【育成提言の解説】
このように文章に纏めますと,『当たり前のこと』を書いてある事にお気づきでしょう.実は,『平成の御代』ではこの『当たり前』が消えていったことが問題なのです.
先ず『当たり前』の必要性を『進化の歴史』と言う側面から説明します.誕生して46億年経った地球上に,『脊椎動物』が誕生してから約5億年,『哺乳類』が誕生して約2億年,ホモ・サピエンス(ヒトの祖先)誕生して約20万年経っているといわれています.
赤ちゃんが生まれるとき,母親の子宮の中で,『1個の受精卵』が細胞分裂を繰り返し,最終的には『37兆個の細胞』から構成される人体にまで成長していきますが,子宮の中では受精卵⇒多細胞⇒脊椎動物⇒両棲類⇒哺乳類⇒人類と,生命の歴史を少なく見ても約5億年分の進化をトレースして人間の赤ちゃんにまで成長して出産を迎えるといいます.
生まれた直後の赤ちゃんは棒にぶら下がることが出来るほどの握力がありますが,空腹とか,痛みを泣き分ける程度しか言語能力はありません.『進化の尺度』で見れば,20万年前の『ホモ・サピエンスの状態』とも言えます.この状態から組織的・効率的に現代に通用するレベルまで引き上げるのが,『少年期までの育成』の目的なのです.
『パソコン』であれば,買ってきた時はマッサラな状態ですが,『プログラム(デジタル)』をインストールし,必要なデーターを読み込ませれば数時間で機能するようになります.
しかし,赤ちゃんは,触って,なめて,音を聞いて,見て…つまり五感を使ってのアナログデータのみで外界を感知し,脳に取りこみ,自らアナログ・コンピュータープログラムを脳内に作りながら,親から口移しで『言葉』を覚えていきます.
言葉を聞き分け,発音できるようになると,教育に『誤解』が生まれてきます.
『米は田圃から獲れる』『生糸は蚕の繭から紡ぐ』と言うように『文章』を覚えさせ,別室で答案用紙に書ければ,『米』と『生糸』の『学習』が出来た…と誤解し,其れを強行するのが『受験勉強』の正体です.この『文章で書かれた情報(既知の事実)』を数多く記憶した人(スマホで何でも検索出来る現代では価値がありませんが…)が,受験戦争を勝ち抜いた『エリート』として要職に就き,『未開の分野を切り開く…』という受験とは真逆の役割を担っていった事が,日本の影が薄くなっていった要因の一つと私は考えています.
一方『皇室』では,毎年公務として天皇自ら田植えをし,稲刈りをします.皇后は自ら蚕を育て,出来た繭を紡いで生糸を作ると言います.その意味の解釈は皆さまにお任せします.
私自身の少年時代の体験は【エビデンス-3】を参照してください.
トヨタ自動車には『現地現物』という『哲学』があります.創業者喜一郎氏の『1日に3回以上石鹸で手を洗わない技術者は要らない』という言葉が,『現地現物』の端的な表現として全新入社員が教わります.その後で『いざという時には五感から得た情報のみが頼りになるからだ・・・』と説明されます.
豊田家の伝記を読むと,佐吉翁⇒喜一郎氏⇒章一郎氏⇒章男氏(現社長)と代々,少年時代に父親後ろ姿を見て『企業家魂』や『帝王学』等が受け継がれていく様が描かれています.受け継がれる『哲学』の一つが『現地現物』と御理解ください.この伝承がトヨタ飛躍の一つの要素であると言えます.
今回の私の提言[1],[2],[3]の真意をご理解頂けたでしょうか?
お子様やお孫さんの教育の参考になれば幸です.
以下,参考にした『エビデンス』を列記します.
【エビデンス−1】父の背中から教わったこと
1913年信州に生まれた父は丁稚奉公して得た家具職人としての腕を頼りに上京し,自力で動坂に店を構え,1940年故郷から嫁を迎え,私が生まれ,これから…と言うときに召集され,母は私を連れて信州の実家(山村の大百姓)に疎開しました.
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終戦翌年復員した父は,父方の倉庫の一部を借り,財産は大工道具だけという状態から事業を再開させます.田舎では家具だけでは飯が食えないので,父は木製の手提げ行灯を独自に考案し製造販売しました.
間もなく玄関の木戸をガラス戸に変える等,建具製造も手掛け始め,やがて生活改善の時流に乗り,台所や風呂場の改築を始めます.更に自力で左官や塗師の技術をマスターし,村の『何でも屋』に成っていき,10年後には,職人2名,住み込みの弟子1名を抱えるまで商売を広げていきました.(起業家としての側面)
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父は厳しく仕込まれた職人で,1日の終わりには,仕事場は掃き清められ,道具類はその日の内に整備して定位置に片付けて翌日即使える状態にして居ました.職人たる者,道具は自分で作るべしとし,約30種類の鉋を自慢にしていました.(職人としての基本姿勢)
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黙々と働く父の背中を仕事場の鉋屑の中で木切れで遊びながら見て育った私は,木工に関する基礎知識を,『門前の小僧習わぬ経を読み・・・・』的に身に着き,音を聞いただけで鋸や鉋掛けの上手下手が分かるようになりました.(感性の伝承)
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中学生の頃は,出来上がった机や洋服ダンスをリヤカーに載せて届け,請求書を渡してくるのが役目で,商品物流の原点を体験しました.その入金があると,おかずが一品増え,父は材料の仕入れに行ったりし,経営に於ける資金繰りの何たるかの原体験をしていました.(企業経営の原体験)
【エビデンス-2】歌舞伎界最近の襲名
- 2019年 1月14日
- 市川海老蔵が13代目市川團十郎白猿を襲名
- 長男・勧玄(2013年3月生)が8代目市川新之助を襲名
- 2歳で初舞台,6歳で新之助
- 2019年 1月
- 松本幸四郎が2代目松本白鸚を襲名
- 長男;市川染五郎が10代目松本幸四郎を襲名(43)
- 孫 ;松本金太郎が8代目市川染五郎(11)を襲名
- 2017年 2月
- 中村勘九郎
- 長男 七緒八 が3代目中村勘太郎(5)を襲名
- 次男 哲之 が2代目中村長三郎(3)を襲名
【エビデンス-3】私の少年時代の体験
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小学校にあがるまで,山村の大百姓だった母の実家に疎開していたので,稲作,畑作は勿論のこと,馬から鶏までの家畜の世話,炭焼き・柴刈り・茸や山菜採りなどの山仕事,養蚕・製糸,味噌・醤油・どぶろく造りまでの農山村の仕事を体験することが出来ました.教えてくれたのは母の弟妹でした.特に6歳年上の叔父は,兄のような存在でよく面倒を見てくれ,母の実家の大家族の末っ子のように育てられました.
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小学校時代は,父母と6歳下の弟と,見習い職人Aさんの5人暮らしでした.母は衣食住全ての面倒を見る『女将さん』としてAさんに接して居ましたが,食事時の『おかず』の大きさは@父,AAさん,B家族の順でした.家族より従業員を大切にするという日本的経営の原点を肌で学びました.
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弟が幼児期に入ると,農繁期には母は近所の農家の手伝いに行くようになり,この時の午後の休憩時間のお茶出しと,母が準備して置いた材料を使っての夕食の支度は,私の仕事になりました.この時から始まった『男子厨房に入る』習慣はその後,子,孫まで続いています.裏を返せば『男女共同参画』であり,私達夫婦と息子夫婦に伝わって居ます.
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小学生の時代,5匹ほど飼っていた兎の世話は私の日課でした.毎日,土手から草を刈ってきて,水分をやり過ぎないように注意し,餌として与えていました.弟が小学校にあがるとその仕事は弟に移りました.この時,キチンと日課をこなす躾けが目的だったのだと分かりました.
〜以上〜
2019年5月 吉日
(株)Jコスト研究所 代表 田中正知
2019年2月
季節の御挨拶
昨年は,モリカケ問題として,財務省や文科省の役人の忖度や,絶大な権力を持つ各省庁の役人を管理出来ていない大臣が話題になっていました。今年になって,新たに厚労省の勤労統計の不正調査が明らかになり,更に多くの統計調査で不正が行われていた様子で,この記事が読まれている頃の国会では論戦の真最中と思います。
民主主義の根幹にある司法・立法・行政の三権分立が,現在の日本の議院内閣制では,最大会派の党首が内閣総理大臣になり,与党議員にとって行政を質すということは,党首や仲間を攻撃すること同意義になってしまいます。その結果,巨大権力を持った行政府の舵取りが心許なくなり,『役人の,役人による,役人のための行政』と言う陰口がきかれるような状態になって居るのです。
行政の根幹に関わる今回の問題は,与党も看過できない問題ですので,行政を牽制する国会本来の役目を果たしてくれることを期待したいものです。そして,今回の不正調査問題も,それが発生した原因は何か,10余年間も質されずに今日まで来てしまったのは,官僚機構の何処にどのような欠陥があったからなのか,真因を追求し,再発防止の為の新しい法律を制定しての幕引きにしてほしいものです。
更に,テレビ画面で見る限り,今回の調査は,『用紙』があり『手書き』になって居ました。ICTとかIOTが改革の目玉とされている今日,『手書き』で集めたDETAにどれだけの情報量と正確さがあるというのでしょうか?今日どの企業でも給与計算はERPで行われている実態を考えると,コンピューター内の『生DETA』を取り出すのが最適の調査法であると思います。方法が不正であったと言う論点と同時に,調査用紙に手書き情報を提出させ,それを手入力でコンピューターに入れ給料相場を推定するという方法そのものが,『昭和時代の遺物』であり,先進世界から周回遅れになってしる事もマスコミで取り上げられ,行政手法の遅れそのものも議論されることを期待しています。
行政のことばかりを書きましたが,『上の好むところ 下自ずから風をなす』と言う言葉のように民間でも,日本を代表するような大会社でも不正問題が続発しています。日本的風土の大組織という点では行政も民間の大会社も,同じ誤りを犯しやすい環境が醸し出されるのでは…という仮説が考えられます。
弊社は,得意とするのは製造現場ですが,事務や販売も含め,実務を遂行しているあらゆる職場の『業務改革』のお手伝いを生業としています。
その立場から見た場合,今日の行政と民間大企業が不正を行った要因の当社としての仮説を今から御説明いたします。この仮説を基に皆さまの会社の現状をご確認して頂き,お役に立てれば幸いです。
どうしても抽象的な話になってしまいますので,1995年私が全くの畑違いの製造部門から物流管理部長として赴任したときの経験を基にして,上記の不正防止に効く取り組み方(弊社の仮説)を御説明しましょう。
【仮説-1】社内に現業職場があり、実態を把握できていること
赴任した時、完成車を全世界の販売店に届ける『車両物流部』,世界中に点在いている自動車生産工場に部品を届ける『生産部品物流部』,世界中の津々浦々にある修理工場へ,修理用の補給部品を届ける『補給部品物流部』がありました。現業分の2割は社内に残し,管理のノウハウを継承させ,協力会社を指導する力を維持させよ…と言う大野耐一氏の遺訓が活かされており,上記物流三部には程度の差はありましたが,『現業部署』があり,そこの監督者の一部が,夫々の協力会社の現場作業を監督して廻っていました。結果として,トヨタ社内の現業職場がモデルになり,日本国内のみならず,全世界の現業職場の実態を把握していました。
【仮説-2】統括部署があること
上記物流三部を統括する形で『物流管理部』がありました。理屈の上では物流三部で実務はこなしていけますが,このコラムの2016年1月に『鼎は三本足で安定しているが,鹿は何故四本の足があるのか・・・・』のところで御説明しましたように,トヨタには管理に関する独自の考え方があります。物流三部の要員をギリギリまで削減させ,改善しないと旨く廻らない(改善のNeedsを生じる)状態にし,更に物流三部内で重複すると思われる業務は1カ所で行うように,物流三部から優秀な人材と業務を『物流管理部』に集めて置き,下記のような機能を持たせてありました。
- 機能-1 物流各部の独走にならないように業務をCheckする
- 機能-2 全世界の物流網をCheckし,改善班を組織し補強して廻る
- 機能-3 新規進出地域での戦略的物流網の構築
- 機能-4 経営本部への物流戦略の提案と組織的展開
【仮説-3】暗黙知を形式知にして蓄積しているか
着任して,幹部からレクチャーを受けて驚いたのは,『貿易』という業務の複雑さでした。
お金に関することは財務省,工業製品は経産省,梱包材料に木材を使うと農水省,業者との関係は厚労省,等々多岐に亘り,しかも,法律だけでなく省令や通達等,様々な形で守るべきルールが多々あり,各省庁間で細かく調整されたものではなく,現場で施行する中で自ずと線引きされていて,法文を読んでも実務は理解できるものではなく,現場の慣例としてどの場面ではどうする…と言ったモノになって居ると言う説明を受けました。そのために法律や用語の説明だけで無く,トヨタとしての取り組み方まで書き込んだ『貿易用語集』を自分達で編纂し,座右の書として活用しているので,部長も勉強するようにと分厚い1冊を渡されました。
一方で,改善の進め方には,改善マンの狙いがまちまちでした。そこで上司である物流担当役員の了解を経て『トヨタ生産・物流方式(TOYOTA Logistics System )』と言う名称で教科書をまとめ,英文に翻訳して全世界の物流拠点に配布し,トヨタの全世界規模の物流ネットワークが同じ目標に向かってKAIZENを進める体制を作りました。
【仮説-4】取り巻く環境の変化を感知する情報網を持っているか
中国ほどでは無いものの,日本の官僚機構は個人としての裁量が認められていて,定期異動毎に取り締まりの重点とそのレベルが違ってきます。これらの情報は官報を読むだけでは収集できません。官庁からのきめ細かな情報をタイムリーに入手するために,その時の物流管理部には,役所を定年退官された方が参与として勤務して頂いて居て,私も色々教えて頂きました。
最新技術情報の取り組みでは,物流管理部が窓口になって,国交省が進めるETCの実用化,ETCの多面的活用の実証実験に参加するなど,常にトップランナーでありつつけることを目標にしていました。
【仮説-5】常に自職場の業務改革に取り組んでいるか
1995〜1999年頃はトヨタの成長期であったため,以下のような新規Projectが目白押しでした。
- @ ベトナム工場
- A 中国天津工場
- B 米インディアナ工場
- C 米ウエスト・バージニア工場
- D 中国長春工場
- E インド工場
- F フランス工場
- G 中国四川工場
- H ポーランド工場
- 等々
業務改善では
- 英国内のOrder-to-Delivery-Lead-Time短縮活動
- 国内カロ−ラのOrder-to-Delivery-Lead-Time短縮
- 輸出荷姿の木箱から海上コンテナ化
等を同時に展開していました。
さらに、協力会社の改善活動を展開していて、トップからの依頼の業務改革は無償で行い、『物流自主研』と称する改善マンの研修会では、当年の改善成果は協力会社のものとなり、次年度は協力会社とトヨタが折半するという取り決めになっていました。改善することで人が育ち、利益が上がるので、活気あふれる職場運用になっていたのでした。
まとめると下記のようになります。
- 【仮説-1】社内に現業職場があり、実態を把握できていること
- 【仮説-2】統括部署があること
- 【仮説-3】暗黙知を形式知にして蓄積していること
- 【仮説-4】取り巻く環境の変化を感知する情報網を持っていること
- 【仮説-5】常に自職場の業務改革に取り組んでいること
これらの要件はあくまでも弊社の仮説ですが、御社は自社の各現場のノウハウの維持管理のためにどのような方策を講じているのか?それがキチンと機能しているのか? 点検してみてはいかがでしょうか。
2019年2月 吉日
(株)Jコスト研究所 代表 田中正知
2019年1月
代表新年の御挨拶
明けまして御目出度うございます。
弊社の本年度の目標は
(1)『本流トヨタ方式』『Jコスト論』の普及に努めます
(2)新進の会計学者と共に『Jコスト論』の進化させます
(3)情報はこのホームページに掲載し報告します
としました。
本年もお引き回しの程をお願い致します。
新年に当たっての所感を申し上げます。
元旦からのテレビ放送でも,頂いた年賀状にも『平成最後の・・・・』という言葉が入っていました。
又あるテレビでは秋篠宮の
『毎年やっている定例の行事だからと言って,何も考えずに先例に盲従するのは誤りである。何の為の行事か?このやり方でよいのか?毎回吟味して取り組むべきではないか?』
という主旨の御発言の放送がありました。
この秋篠宮の御言葉が,私の胸に響きました。
と言うのは,私には平成の30年間はものづくりのやり方がバブル時代の盲従で来てしまった部分が多く,改善を生業としている弊社から見ると失われた時間であったと感じているからです。
追い打ちを掛けるように,日経新聞に『カイゼンお役所仕事』と言う記事が載り
『(1)そのハンコ,必要ですか』『(2)子育て申請にため息』とありました。
役所も又,『働き方改革』と言う一方で『業務改革遅々として進まず』が続いています。
日本は農業国で,『明けない夜はない』『台風一過の晴天』という言葉があるように,どんな困難な状況があっても必ず元に戻る・・・と信じる心があります。
この心が強すぎて,1980年代のバブルの時代を原点と考えてしまい,1990年代の不況,2000年代のリーマンショック,等々は一時的なもので,じっと我慢すれば又あの繁栄したバブル時代に戻れる・・・・妄想に駆られてきた30年が平成であった言わざるを得ません。
その結果,国際的機関から以下の残念な評価を得ています。
- 労働生産性 先進7カ国では最下位 OECD36カ国中21位(2017年)
- 男女平等度ランキング,144カ国中114位(2017年)
- 報道の自由度ランキングでは 180カ国中72位(2017年台湾韓国に抜かれる)
弊社の本業である『現場の維持・改善』でお話しすれば,労働生産性が低いことが気になります。詳しくは後半でお話ししますが,先ずは組織の一員として活躍している皆さまは,先に紹介した秋篠宮の御言葉を我が事として汲み取り,他社は?他国は?御自分のお仕事を客観的に見直すところからはじめ,年号が変わることを機に,働き方改革ではなく,業務そのものの改革に取り組むことをお薦めします。
【日本がじり貧になって言った理由・・・弊社の考え方】
1989年から2019年の30年間に世界のものづくりはどう変わったか,弊社の捉え方は,下記の【A】【B】を全世界で展開していったが,日本だけは不完全燃焼だったというものです。以下掻い摘まんで申し述べます。あくまでも私見であり,仮説に過ぎませんが・・・・
世界的な変革の一つは1980年の日米自動車戦争にあります。当時のレーガン大統領にとっては,1945年に徹底的に焼け野原にし,その後10年間進駐軍(英語ではOccupation Army)によって,徹底的な洗脳教育し,2度と米英に盾突かないようにした上で自治権を回復させてやった日本に,米国の基幹産業である自動車が責め立てられるのは何故か!? 徹底的に調査させ以下の二種類の経営手法が脚光を浴びたのでした。
【A】FORDが築いたコンベア化を更に発展させたトヨタ生産方式(TPS)
【B】米国のデミング博士が提唱したTQC
此処の手法のその後の展開を詳しく御説明します。
【A】トヨタ生産方式(TPS)から欧米人用の『Lean Production System』が生まれ全世界に伝播しました。GE社等が先頭を切って導入,中国では『精益改善』と呼ばれています。又,イスラエルのGoldratt博士がTPSからTOC(Theory Of Constraints)を考案し(1984年),更にこれを評価するThroughput会計を編み出しました。
世界の学者に取ってトヨタ生産方式は絶好の研究対象で,構成する要素がひとつ一つの手法として理論付けられ,ルーチン化され,世に広められました。
たとえば 「現場と一緒になって新車を開発していく活動」は『Concurrent Engineering 』として紹介され,「かんばん方式のEssence」は『SCM』となり,職場内のSystemを解析する「モノと情報に流れ図」が『Value Stream Map』となりました。「新車開発時事前検討を重視して,後から問題が出ないようにする手法」は『Front Loading』と紹介されています。トヨタ生産方式の2本の柱の一つ「自働化」はそのまま『JIDOUKA』そのうちの「改善は無限である」と言う部分が『6σ活動』とされ,「異常を顕在化(見える化)させる事」は『Visual Control』等々数多くあります。
トヨタ自体がトヨタ生産方式という暗黙知の塊を形式知に十分出来ないで居る内に,米国からこのような形式知化されて出版され,それが全世界に発信され,日本に逆輸入されているのです。
2000年代に入ると,上記手法を織り込んだERPが普及し更に最近では月額数万円でクラウド型のERPが普及しその中には,上記から派生した最新の改善手法が織り込まれ,全世界のものづくり関係者が使い始めていると言います。
一方日本では,生産管理を例に取れば,大学で一般教養を身につけただけの新人を工場の生産管理の現場に配属し,彼より4〜5年前に先輩に教わり,現在生産管理の実務をやっている人を職場先輩にして,その新人を教育して行く・・・・・・というプロセスを多くの企業では続けてきました。『何時までにどれだけの生産を現場にやらせるか』と言う工場の生産性を決めてしまう機能を,同業他社や世界の趨勢とはまったく無関係に,先輩から後輩への教育だけで済ませている会社が実に多いのです。
多くの企業のトップがこう言った内在する問題に気がつかず,我が社の方式が世界1であり,このまま進めるのが勝利の道と思い込んでいたのではないでしょうか?
何より残念なのは,トヨタが1937年創業で若い会社なので,明治時代に創業した大手から見ると『新参者』として扱われ,そこで生まれた上記の数々の手法を軽蔑し顧みられなかったことです。
トラブルを起こしている三菱,東芝,シャープ,神戸製鋼などはその典型だと思います。
【B】TQCについては,1980年米国が調査に来たときの日本の製造現場では,1960年後半から採用開始した普通高校卒の作業員が,持てる知的好奇心を発揮し『QCサークル活動』で現場改善に当たっていました。その結果,工場現場から自律的に安くて高品質の製品が出来てくるので,会社組織の運営主体である経営陣や管理者層は,経営戦略云々の難しいことを考え無くても,取引先との人間関係さえ良くすれば売れる状態にあり,交際費を使って接待に明け暮れていました。
この状態を確認した米国の調査団は,会社経営の専門技術は無く,もっぱら上司への気遣いと他社との人間関係づくりだけの管理者層こそが日本の弱点であるとして,米国企業の管理者教育に力を入れ,TQMと言う手法を確立し,更に米国としての褒賞として『マルコム-ボルドリッチ賞(The Malcolm Baldrige National Quality Award)』を制定したのでした。モトローラ社,ゼロックス社等がこれに呼応して業績を伸ばしたと言われて,これに刺激され米国の製造業は息を吹き返したとされています。
1999年欧米を視察したとき,TQMと言う管理手法で,TPSを進めている・・・という企業が多かったのが印象的でした。
間もなく日本にも紹介され,1995年トヨタにも導入され,物流管理部長としてTQMの洗礼を受けました。以下,体験をもとに展開法を説明します。
先ず期首に会社方針,部門方針を受けて以下の手順で実施項目を決めます。
- Mission-Statement (物流管理部長として今年のMissionは何かを具体的に表明)
- Performance-Measure(その成果の評価は何で,どのように測定するのか)
- Commitment (必達目標としての数値)
- Target (出来ればここまで達成したいという目標値)
上司の物流担当役員との間で,上司の目指す方針展開との整合性を確認後,副社長出席の下で,報告会を行い最終承認となります。この時トヨタは,A3用紙1枚にまとめて10分以内で報告する事が求められていました。
期末になると,実施結果がCommitmentの数値の何処まで行ったかと,残されている課題等をA3一枚にまとめて上司に報告し,最後に期首と同じ副社長出席の会議で報告します。その成果が賞与に反映されます。
日産には1999年ゴーン改革の柱として導入され,先ずゴーン社長自らが上記(1)(2)(3)を掲げ,それを達成させる為の行動目標を各役員に割り付け・・・管理職全員に展開したことで,見事にV字改革を成し遂げられたとされています。ただCommitmentのフォローがきつく,管理職が疲弊していると言う噂がありました。
今日,企業に勤めている皆さまにお伺いすると,上記のようなTQMの説明は無く,昔はTQCと呼んでいたが,最近はTQMという呼び名に変わったのです・・・という御返事を頂くようになりました。
真面目に米国発のTQMを展開したのはトヨタと日産だったのでは・・・と心配になってきています。
結論として弊社は,平成の30年間で日本がじり貧になって行ったのは,上記【A】と【B】の展開が不十分であった為と考えて居ります。【A】の展開は弊社の生業とするところですので,少しでもお役に立ちたいと願っております。
2019年元旦
(株)Jコスト研究所 代表 田中正知
2018年7月
『隠れキリシタン』的現場管理になって居ませんか
6月30日『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』が世界文化遺産への登録が決まったとのこと,イスラム教に押され気味のキリスト教圏からの裏工作の匂いはあるモノの,日本にとって喜ばしいことであります。
今回の登録に当たって,幕府の弾圧があった期間だけ地下に潜伏し,弾圧が解かれる元のカソリック教会の信者として生活に戻った人達を『潜伏キリシタン』と定義づけられ,世界遺産の対象とされたのに対して,弾圧がなくなった後も頑なに本来のローマカソリック教会との接触を拒み続けている集団を『隠れキリシタン』として,対象から外しているのだそうです。
日本人から見てれば割り切れないものがありますが,キリスト教団から見れば『隠れキリシタン』として差別し,除外するのは当然のことでしょう。
宗教活動を『現場管理活動』に置き換えてみたとき,現場管理をコンサルする立場の弊社から見ると,外部に学ぶべき文献や,競うべき会社,教えを請えるコンサルなど数多く居る中で,あたかも『隠れキリシタン』のように外部との接触を断ち,先輩から教えられて事を後輩に教えていという仕組みで,伝言ゲームよろしく,途中で中味が変わって伝えられた現場管理が,『我が社の伝統』の名の下に珍重され,その結果社会から置き去りにされていき,ついには法律違反や偽検査データで納品するなど,一部では社会問題化している会社が,現に存在しています。
一つの実例として,『統計的品質管理(SQC)』のお話しをしましょう。1970年代,各企業は自社の経営基盤を固めるべく,競って『TQC(全社的品質管理)』の導入を図り,その習得の証として『デミング賞受賞』に挑戦しました。
現場ベースでいえば,職長以下作業員までのいわゆる技能系には,『QCサークル活動』と『品質改善七つ道具』が必須として教え込まれ,改善活動が展開されました。監督者には,部下を扱うためのノウハウとして『TWI』受講が義務づけられていました。
その一方で,製造部長以下一般技術員までのいわゆる技術系は,『SQC(統計的品質管理)』,『田口メソッド』等の修得が求められていました。それらを修得した上で,技能系が簡易な手法で改善した内容の技術的に裏付け,全体のシステム構築に貢献する事を担っていたのでした。
このような現場環境の中で,様々な問題解決や,品質向上が図られ,職場ルールや手順が決められたのでした。トヨタ流にいえば『作業の勘・コツ・急所』に当たります。
ところが,2000年になり,筆者が『ものつくり大学』で『品質管理』等を担当することになり,教科書お選びをしていて,ろくな教材が無いことを発見して,愕然となった記憶があります。『SQC』については自分が30年前に使ったいわゆる『青本』と言われるものを教科書として使う羽目になりました。
この事態を現場から見ると,1980年代から,『SQC』をはじめ現場管理系の理論を学んで入社した人は少なくなってしまい,21世紀の今日では,皆無と言って良いような事態になってはしないかと懸念されます。再度デミング賞を受け直すという話も聞きません。
と言うことは,少なくとも品質管理に関しては各社『隠れキリシタン的』な,外界とは遮断された,口伝として伝承された現場管理になって居ると疑って掛かった方が良いのでは…と思います。
検査データ捏造と言われた件も,『SQC』が説いている『不作為抽出』の意味を理解して居ない為,4個測定しなさいと指示されていたが,倍の8個のデータを測定し,最大値と最小値は誤差として捨て残り6個の測定値から気に入った4個の数値を記入していたかも知れません。もしそうだとすれば,『SQC』ではやってはいけないミスですが, 作業者にしてみれば,全て自ら測定したDETAですからウソの付いたという自覚は全くないのです。
此処で皆さまに御提案があります。それは現在現場にある全てのルールの根拠の再点検をやって頂きたいということです。ルールには次の四種類があります。
- (A) 神様が決めたこと……材質,強度,自然界の法則等
- (B) 政府が決めたこと……法律等々
- (C) 会社が決めたこと……就業時間,業務分掌等々
- (D) 職場で決めたこと・・・・勘・コツ作業順番
このうち自分達で変えられるのは(D)だけなのです。(A)〜(C)は根拠を調べ,その根拠に沿うように見直していかなければなりません。
今西日本では大雨の為に甚大な被害が出ていると報道されています。被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げます。そして一刻も早い復旧を願っております。
同時に再発防止に関しても上記(A)〜(D)の趣旨に則って,他社や他地域の情報を仕入れて,比較検討し,新柄緻密な防災体制の確立を願うものです。
2018年7月吉日
(株)Jコスト研究所 代表 田中正知
2018年4月
トヨタ式の『石の上にも3年』という考え方
毎年4月になると、希望に胸膨らませた新入社員が入社しますし、ベテラン社員も異動があります。この時上司や先輩から 『石の上にも3年』という言葉が掛けられます。多くの場合は『石の上のような堅くて冷たい場所でも、3年も辛抱すれば暖まり、居心地が良くなると言うから、ここの職場で多少気に入らないことがあっても、逆らわず、先輩のいう事を聞いて職場に溶け込みなさい・・・・』と言う意味に使われています。
50年前、トヨタに入社したときの先輩から指導は、真逆の意味でした。
「個人の基本的人権は侵すことお出来ない永久の権利として憲法で保障されているが、 民間会社は社会に貢献し続けなければ存在意味を持たない。組織はとかく易きに流れる。それ故、公正なルールのもと、ライバルと切磋琢磨することで、共に社会に貢献する存在であり続けられるのだ・・・・」
だから「進歩し続ける社会の中で、 半歩でも先を行かねば組織の存在価値はない・・・」と教えられ、現場実習ではトヨタ生産方式の『自働化』とは、「異常があったらラインを停めて直すこと・・・」更に進んで「異常を発見しやすくすること・・見える化」の実態を叩き込まれました。
この文脈で 「石の上にも3年」を解釈すると、「新しい職場に来れば、新しい発見がある。良いことだったらそれを受入、おかしいと思ったら納得できるまで何故?ナゼ?を追求せよ!」「朱に交われば赤くなる、の言葉のように、 時間とともにおかしいと感じなくなってしまう。」 というモノになります。
実際に入社教育で、「今のやり方のままで行くのであれば、高校卒を採用し、4年間会社の実務をしっかり教え込んだ方がスキルの高い人材に育つし、そう言う人財も採用している。会社の外で4年間過ごした大卒生を採用したのは、この会社を客観的に見て、より良い方向に軌道修正していく人財として採用したのだ・・・・」と言われました。
これと対になる言葉で 「3年したらサボれ」と先輩から指導を受けました。
その真意は、「赴任して、その職場の抱えている問題、成すべき課題がハッキリ見えるのは精々2年間だ! 見える2年間でその仕事を片付けよ!3年目からはその仕事は部下に任せて(部下に育成に重きを置く)、自分はもう一つ上の仕事(上司の補佐)に取りかかれ!」というモノでした。
1980年代豊田章一郎社長は 「勇気(College)!創造(Creation)!挑戦(Challenge)!」を掲げ、
1990年代奥田碩社長は 「トヨタの敵は(昨日の)トヨタ」「変わらない奴が一番悪い!」を掲げていました。
トヨタ在籍中は歴代の社長は社員一人一人が、自分の感性で自分のまわりを見直しておかしいと思ったら行動を起こせと呼びかけているのです。
この「変える」とか「挑戦」と言うことをトヨタ生産方式の中の『改善』と言う手法で説明しましょう。
先ず今やりかたはどうなって居るのか、しっかりと見直しことから始めます。調べてみると、現場だけでなく事務所の作業でも、人によってやり方はまちまちですし、同じ人をとっても、その時の気分で変わってきます。こんな状態ではその「出来映え」も、「所要時間」も出たとこ勝負で、とてもお金を貰ってやっているプロの仕事とは言え無いような現場にも出くわすことがあります。その中で一番良いと思われる作業方法を選び出し、それを『今のやり方』として固定します。
現状のやり方の中で、一番マシなものを選び、これをありのままを表したものとして『表準(おもて標準)作業』と言います。このやり方がベースになります。
この『表標準』をやり続けながら、更にやり易く、確実に仕上がるように新しい作業方法に挑戦して行くことを『改善』とか『変える』と言っているのです。
さて、新しい会社、新しい職場に来られて皆さま、 『石の上にも3年』と言う言葉をどう受け止めますか?
ミイラ取りがミイラになら無いように、御活躍を期待します。
2018年4月吉日
(株)Jコスト研究所 代表 田中正知